高齢化社会に向けて

 社会人から失職してニートに。そしてフリーターを経て再び社会人になった私には、人の痛みが解る人間に成長した、という自負があるのです。ですから、今日も重そうな荷物を持って坂道で息を切らせているご老人を見かけたので、そっと手を差し伸べたのです。

 買い物難民が溢れるほど私の勤め先は過疎地ではないので、例えば食料であるとか日用品であるとか、そう言った物の配達を請け負ってくれる業者を見かけません。探せばあるのかも知れませんが、恐らくそのご老人(お婆さんでした)も知らないのでしょう。

 息子夫婦や娘夫婦などと同居していないのか、或いは老夫婦だけの生活なのか、もしくは一人暮らしなのか…私にはそれらを確認する術はありませんが、現実問題として、今まさしく目の前で重そうに(恐らくは)スーパーの買い物袋を提げて、軽く腰の曲がったお婆さんが息を切らせている…それを見て見ぬフリをする事は私には出来ませんでした。

 残念ながら私の行為は全くの偽善…と言うか、無償の行為ではありません。情けは人の為ならず、と言う言葉通りの行動なのです。来るべき高齢化社会のくびきから逃れる事は、私も出来ません。何十年後か、いつか私が老人になった時に、救いの手を差し伸べてもらえる社会であったら…と言う思いがあっての事です。だから、偽善なのです。でも、何もしないよりはした方が良い…私はそう思うのです。 

 さて、お婆さんに声をかけ、坂の上まで荷物を持ちます…と言った旨を伝えてから、ゆっくりとゆっくりとその方のペースに合わせて坂を上りきり、更にその上の階段まで荷物を運んだ私に対して、そのお婆さんは皺の刻まれた顔を破顔させながら

「ありがとさんね、ありがとさんね」

と、何度も私に礼を述べてくれたのでした。お婆さんの家の前まで荷物を運ぼうとも思ったのですが、流石に押し付けがましいかな…と一人自問している所で、お婆さんは、もう大丈夫だから…家はすぐ近くだから…と述べて、私の葛藤を断ち切って下さいました。去り行くお婆さんの後姿を一人見送りながら、自分の老後はどうなっているのかな?などと独りごちる冬の日でした。


 まあ、ババァの息が臭かったので、後ろから一発殴っときましたけどね。

 と言うか、全部ウソです。見ず知らずのババァなんぞ助けるワケねーだろ!バーカ!